冒頭著者は「詩は人のこころを解き放ってくれる力がある」と書いている。
本書を読めば、この一文の意味することに納得する。
音楽や詩を鑑賞するというのは、きまった手順や方法があって、こうしなけれ
ばならないなどといったことはなく、自由に感じるままに反応すればよいのだ
けれど、本書を読めば、詩を読んでより広く、深く反応するヒントをもらえる。
ジュニア新書ということで中学生くらいを対象に書かれたものであろうけど、
大人の世界にはなかなかこういうすばらし本は見あたらないので、大人もぜひ
一度手に取ってみて頂きたいと思います。
先日 大阪で気功法の学習会に参加しました。少林内功を教わりました。きついが何となくよかったです。これからも続けていこうと思いました。六字訣、八段錦、易筋経、五禽戯といった気功法は、始めたその日から効果を実感できます。やってみませんか。これからは統合医学の時代です。世間では、代替療法が話題です。 気のトレーニングで脳の入静状態を体験しましょう。(座禅でいう入定状態です)リラックス・リフレッシュします。
主人公が閉ざされた場所へ行き物語が語られ、主人公がそこから出て行くところで物語りは終わる。その形は「芽むしり仔撃ち」と共通しているものがあるが「芽むしり仔撃ち」が救いようの無い悲劇の形で終わるのに対して、この作品はある種の「希望」が描かれて終わる。
9年の時を経て大江氏の中で何が変化したのであろうか。大江氏は自らの「個人的な体験」を通して、人間存在の奥底に希望の種も見出したのだと私は信じたい。主人公は最終的に、残酷で不誠実で矮小な自分自身と向き合うことになるが、それでもその中でなんとか明日への一歩を踏み出していく。人はどうしようもない状況に陥った時、この作品の結末のような「希望」を信じることで、ぎりぎりのところで救われるかもしれない。そんな読後感に浸れる得がたい作品であると思う。
東京裁判で明らかにされた歴史は、極めて政治的であり、厳密な歴史的検証ではない。
だからといって、戦争に負けた日本が、それを否定したところで戦後は始まらないし、現在においても、それを無視したところで得るものは無い。
著者が繰り返し注意を促しているのはこういうことで、本書の基本的なスタンスである。
たとえ政治ショーであったとしても、戦争の終結と戦後の幕開けのためには、必ずショーが必要であり、そもそも戦争自体が、政治の産物でしかない。
今日も、あらゆる場所で繰り返される「責任者は責任をとれ」という議論と、東京裁判は同じ次元にある。
真の原因が誰にあったかという検証には、はたして終わりが無く、それでも責任は誰かがとらなければならないというジレンマを、連合国と日本はともに抱えていたということで、その意味で日本と連合国は利害が一致していた。
著者は今まで第一線で東京裁判についてしるしてきた研究者より一世代若く、それゆえ冷静で日本側の勢力争いや連合国側の意思統一の難しさを淡々と叙述している。新書でここまで書いてくれるなら、東京裁判について一般の理解としては十分だと思う。本書と粟屋憲太郎『東京裁判への道』を読めば、かなり正確な理解が得られると思う。
我が家ですぐに実践できる内容が満載。今、父親力の大切さを特集した雑誌が出回っているが、おそらくこの本が草分け的な一冊ではないだろうか。
緻密な取材と著者独自の教育観が織り交ぜられていて読みやすく、すぐ家庭でも使える内容なのがいい。「見える学力」と「見えない学力」があると著者は語っているが、どちらを伸ばすにもうってつけの好著だと思う。