これと「嫌われ松子の一年」を同時に読んだので、役者としてのあり方の両者の違いが良く分かりました。バイプレイヤーとして現場に携わっている彼ゆえの「観察者」の、こまやかな視点、俳優という職業の「観察」から自らをモニターを見るように振り返っています。あれだけ味わい深い演技をするのに、「自分の演技はブレブレで子供みたい」と自省し、理想の俳優として山崎努を挙げているのが思わぬ発見でした。「最近の日本の俳優はダメだ」的な話が多い中、松嶋菜々子や唐沢寿明など、日本の俳優たちを絶賛しているのも気に入りました。(反対に、中国の監督や俳優は絶賛しつつも小気味よく悪口を書いています。姜文は、映画「芙蓉鎮」のイメージが強いので、そんな人になっていたとは…)現場の俳優が尊敬しあいながら作られる芝居は素敵です。関係ないけど、一度彼には「異形の主人公」をぜひやってもらいたい。「火の鳥」の鳳凰編の主人公、我王とかが似合いそうだな、と勝手に想像しています。最近の作品の話題が少なかったので、次作を期待して星はひとつ減らしました。
△映画製作日誌として実に興味深い本です。著者の文才もなかなかのものですが、実際に舞台裏で起こっていたことの凄まじさがこの本を重厚なノンフィクションたらしめているのでしょう。 「鬼が来た!」の監督・姜文がスタニスラフスキーのメソード演技理論に基づいて出演者陣を鍛え上げていく場面は真実鬼気迫るものがあります。俳優たちにとって監督はまさに「鬼!」だっただろうなと想像します。▼気になったのは、共演者でもある袁丁のことを著者がこの本でかなり悪く書いている点です。この映画の出演者の中で袁丁は唯一日本語が分かる中国人ですから、この本を読む可能性も高いわけです。日本語の読めない姜文監督の悪口ならまだしも、その袁丁のことをここまでこき下ろして書くということは著者と袁丁との関係がよっぽどのことだったのでしょう。ただ、事実だとしても彼のことをここまで悪く書くことはなかったのではないでしょうか。袁丁は政治家のような公人ではないので、彼をこうした出版物で厳しく批判することによって得られたり守られたりするような公共の利益があるわけではないはずです。となると彼への批判は私怨の域を出ないことになり、結局のところその批判する箇所の文章を私は「はしたない」と感じてしまったのです。 自分への批判に対して公の場で反論する機会を得られないであろう袁丁の心中を思い、実に心落ち着かない読書となりました。