処女受胎によるキリスト誕生という、聖なる伝説を超大胆に“ゴダール化”したニュービジョン。完全版はゴダールの実生活でのパートナーであったアンヌ=マリー・ミエヴィルの短編『マリーの本』が冒頭に付けられ、本作と二部構成のドラマになっている。 『ゴダールのマリア』は、マリア=マリー(ミリアム・ルーセル)はバスケット部に所属する高校生、恋人のジョセフ(ティエリ・ロード)は変わり者のタクシー運転手、マリアに受胎告知をする天使ガブリエル(フィリップ・ラスコット)は髭顔のオッサンという大胆キャスティング。宗教的な色合いよりも、処女にもかかわらず妊娠してしまったマリーの戸惑いと深い苦悩、強く愛するがゆえマリーの妊娠に不信感を抱き、処女受胎だと知った後もその事実を受け入れられないジョセフの苦悩が鮮やかに描かれていく。苦しさからマリーの同級生のジュリエット(ジュリエット・ビノシュ)とデートするジョセフの前に天使ガブリエルが現れて、彼を平手打ちして叱咤激励するなど、思い切った演出は見もの。母性とエロスを併せ持つマリー役のミリアム・ルーセルの美しさには圧巻だ。 冒頭に併録されている『マリーの本』は、 11歳のマリー(レベッカ・ハンプトン)が両親の度重なる罵り合い、別居に巻き込まれる様をつづった25分の短編。少女期のエキセントリックなあやうさが躍動感あふれる映像で繊細に描かれていく。(茂木直美)
リュック・ベッソン監督のハリウッド進出作品にして、独特の世界観を描いた最高傑作!!
この作品を初めて観ようとする人は、
ジャン・レノ演じる殺し屋レオンのスタイリッシュなガンさばきを期待すると思います。
かつてボクもそうでした。
確かに冒頭のシーンなど、その鮮やかさに見入ってしまいます。
ところが、隣の少女マチルダを助けたために、レオンの人生が変わってしまいます。
生涯孤独同士となったレオンとマチルダが頼れるのはお互いの存在だけ。
ここに、年齢差を越えた二人のラブストーリーが始まります。
それは、単なる男と女の関係ではない、はたまた親子の愛情とも違う、
それらを超越したパートナーとしての心の繋がりが随所に描かれ感動を呼びます。
そう、この作品はドンパチを楽しむものではなく、
二人の淡く切ない生き方を見守って、酔いしれる作品だったのです。
最後、マチルダの復讐を果たすべくスタンスフィールドと自爆するレオン。
レオンの観葉植物を庭に植えるマチルダ。
二人の安住の地がそこにある。
同時にエンディングのスティング"Shape Of My Heart"。
実に哀愁ある作品でした。
名作です!!
僕は「ニキータ」や「フィフスエレメント」の廉価版が出て
このボックスがやたら安くなったんで買ったのですが
結果、大満足です
一番の理由は
現在の廉価版の「ニキータ」
レビューによると
DTS音声未収録、パッケージに書いてあるけどなぜか日本語も未収録
メニューもチャプターもなく
ただ再生することしかできない
先を見たい時は早送りしていくしかないそうな・・・(ビデオやん・・・(-_-;))
これはちょっと酷過ぎる(ーー;)
だからどうしても昔バージョンが欲しかった
とりあえず僕は今までビデオで「ニキータ」「レオン」「フィフスエレメント」を持ってただけなので
一気に揃えられて
しかもかっこいいケースに入ってるし
ケースはトールケース三本分ぐらいの大きさでかさ張らないし
ポストカードに解説書も入ってるし
いいことづくめでした
確かにリュックベッソンBOXを名乗るには「グランブルー」が入ってない時点でどう甘く考えてもアウトなんですけど
それでも安くこれだけ度揃えられれば大満足です
「映画とは何か?」この命題に関して、ゴダールほど真剣に取り組んだ映画監督は他にいないだろう。映像、台詞、引用などのモンタージュを一見無造作に並べたように見える本作品は、『映画史』と同様、もはや映画という範疇にはおさまらない新しい<被造物>といえなくもない。本作品においてその創造主たるゴダールは、神のごとき視点で<映画の聖性>について深く掘り下げている。
ギリシヤ神話をベースにした、シモンとその妻ラシェルの物語が挿入されてはいるが、本作品においてはその<目に見える>物語はイコンにしか過ぎない。観客は劇中の登場人物クリムトや女子大生オードとなって、目には見えないもの(本の抜けているページ)を自分で探し出さなくてはならない。
『軽蔑』で見せた、映画に携わる人々へのゴダールの批判的な目も健在だ。絵の先生であり本も扱う男=映画プロデューサー。信仰(観客が映画と接する行為)のあり方に対し疑問を抱く牧師や医者=映画評論家。<神の似姿をした悪の被造物>の存在を説くビデオ屋の店員は、さしずめ<映画の聖性>を信じるカメアシか編集助手といったところだろうか。
「すべては一人のなかに。他者もその中にある。3つのペルソナだ」(?)おそらくキリスト教の三位一体になぞらえ、映画を構成する要素についてゴダールがたどり着いた一つの結論であろう。<父・子・聖霊>は、それぞれ<映像・物語・目には見えないもの>とも、(アウグスティヌス的な見方をするならば)<監督、映画、映画によって伝えられるもの>ともとれなくはない。ゼウスがギリシャ人(HELLAS)を作ったという神話を知る者は、原題(HELAS POUR MOI)にこめられたダブルミーニングに気づくかもしれない。
本作品は、映画を擬人化した<夢から醒めた女>の独白によって幕を閉じる。彼女(映画)の望みは、記憶されることでも後世に伝えられることでもなく、<完全に可能性を超えた場所=映像と物語を超えた場所>に存在することだと伝えられる。ゴダールに「その場所を尋ねる者は誰もいない」と突き放されても、かすかな光を手がかりに闇の中を彷徨って<その場所>を探し出そうとする行為は、やはりどこか<信仰>に近いものがある。
愛の不毛を描き続ける映像作家ジャン=リュック・ゴダールならではの印象深いフィルムです。『気狂いピエロ』でもその魅力を堪能させてくれる監督お気に入りのアンナ・カリーナが人生の矛盾ついて問いかけ続ける女ナナを悲しく可愛く演じています。
ナナが経ていく、自立、失望、悟り、思考の時、希望、そして運命の結末が12話からなるショートストーリーによってつむぎあわされていくあたりからとても斬新なものを感じます。特に、デンマーク無声映画の巨匠カール・ドライヤー監督の傑作『裁かれるジャンヌ』を観ながらこれから火刑に処されようとするジャンヌ・ダルクに己の姿を重ね合わせて涙するシーン、退屈な場面を打破するかのようにジュークボックスの音楽に合わせて激しく踊るシーン、老哲学者の言葉に真剣に耳を傾けるシーン、やっとつかんだ恋人とのささやかな幸せを謳歌するシーンなどが胸に染み入るほど秀逸です。
ゴダール監督が書いた彼らしい気取った台詞とモノクロ画面の持ち味を最大限駆使した美しいコンポジションも健在。特に、登場人物の後ろ姿を強調した思わせぶりなアングル、左右をいったりきたりするカメラワークに面白みがあります。『華麗なる賭け』のミッシェル・ルグランによる哀愁ただよう音楽も適材適所に挿入されて雰囲気を盛り上げています。
ゴダール監督得意の強引ともいえるほど突然やってくる結末。FINの字幕が流れた後、取り残されたような気分になりながらもピュアな乙女ナナの悲哀に切々と感じ入ってしまう、これは悲しくもつかの間の生の輝きに満ちた秀作。
これを見ずして何をみるべきか戸惑う。
舞台はサラエヴォ。キャストで何人か実際の人物が登場する。スペインの作家、ゴイティソーロ氏、パレスチナの詩人ダーウィッシュ氏などなど。
映像もさることながら、使用されている音楽もやばい。一部、すごすぎるところがある。
もう見てくださいとしかいえません。一緒に映画館に行った連れは、映画館を出た後「普通の映画じゃねえ」とつぶやいてました。
いい〜すっね〜
じっくり見直す時間がある方は〜
でもどこにも売って無いです
まだまだ高くなりそうですが、迷ってます!!
偉大な映画監督ラングをまえに、はにかんだような表情のゴダールをはじめて見た。しかし、話題は“映画における検閲”におよび、ゴダールは「フランスでは、戦争映画は作れない。なぜなら軍人のミスを決して描けないからだ。ドキュメントの作品において、大統領や湾岸労働者も写しだすことができない」という。パリでの映画製作の窮屈さを語りながら、しかし彼はフランス語で喋っている。母国語をドイツ語とし英語で映画を作り続けた、希代の映画監督をまえにしてだ。そのことを腹立たしくおもいながら、BOX OFFICE(興行成績)の重要さを自身の映画が数多くの人に見られることのロマンとして語る老映画監督の若々しい真摯さに感動をおぼえた。そのうえ彼は、フランス語で自己紹介するために何度もテイクを重ねていたのだ。フリッツ・ラングは偉大な人間でもあった。必見!
そして、『気狂いピエロ』のデジタル・リマスターぶりを部分的にチェックし、大いに満足して、眠った。
4本組のうち「小さな兵隊」('60)を除く3本は、キネマ旬報社が'84年に発行した「映画史上ベスト200(ヨーロッパ映画編)」に選出されており、初期ゴダールの作品中でも贅沢な組み合わせといえるでしょう。
「勝手にしやがれ」('59)は、ハンディ・カメラという技術革新を用いた映像と、映画文法を逸脱したリズム重視の編集、とぼけたようなジャズの使い方など、旧態依然とした映画界を軽やかに変革する、まさにヌーヴェル・ヴァーグを最も体現する映画。ハリウッドのフィルム・ノワール(暗黒映画=ギャング映画)にオマージュを捧げつつ、換骨奪胎したようなモチーフを組合せる手法が早くも存分に展開されています。
この処女長編はルイ・デリュック賞を受賞しますが、頭の硬い保守派には、素人が撮った浮薄でデタラメな映画だと映ったようです。しかし、その後の多大な影響や映画史の流れから、今やその評価は不動のもの。そればかりか、現在のゴダールは映像と台詞と音響の細部にまで拘り、もっとも豊かな映画的至福を提供する作家である、ということに異論をはさむ者はいないでしょう。
「気狂いピエロ」('65)で再びジャン・ポール・ベルモントを起用し、今度は原色カラーで悪漢映画の再構築に取り組みます。名シーン、名セリフだけを繋いで作ったような構成は、もはやモダン・ポップアートの領域。
ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)とは表現上の革命であり、それ以前の表現方法との相違を意識できるかどうかで、その新しさの感じ方、受けるインパクトが違ってくると思います。様々にパクられた後、何でもありとなった現在では、過剰な情報にややもすると肩透かしを食ったような印象を持つかもしれませんが、オリジナルとしての実験精神、変革への気概といったものを是非とも感じとるべきでしょう。絵画で言えば印象派の台頭、音楽で言えばパンク・ムーブメントといった動きと重ねて観ると良いと思います。
[1]監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール 出演:アンナ・カリーナ/ミシェル・シュボール/アンリ=ジャック・ユエ[2]監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール 出演:ジャン=ポール・ベルモンド/アンナ・カリーナ[3]監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール 出演:イザベル・ユペール/ハンナ・シグラ [1]小さな兵隊[2]気狂いピエロ[3]パッション[4]特典ディスク\〈映像特典〉[1]コリン・マッケイブによる作品紹介/予告編/ポスター(静止画)/写真ギャラリー(静止画)/[2]コリン・マッケイブによる作品紹介/予告編/ポスター&カバー(静止画)/[3]コリン・マッケイブによる作品紹介/ポスター(静止画)/写真ギャラリー(静止画)/[4]「THE DINOSAUR THE BABY」(ゴダールとフリッツ・ラングの対談,監督:アンドレ・S.ラバルト)/「LUC ON JEAN−LUC」(リュック・ムーレ監督による短編集)/「GODARD:LOVE AND POETRY」
【DVD】アル・ディメオラ/ジャン=リュック・ポンティ&スタンリー・クラーク(アル.デイメオラ/ジヤン=リユツク.)/発売日:2005/07/27/VABG-1179//アル・ディ・メオラ(g) ジャン=リュック・ポンティ(vn) スタンリー・クラーク(b) モンティ・アレキサンダー(p)/<収録内容>(1)ソング・トゥ・ジョン(2)メモリー・キャニオン(3)ラ・カンション・デ・ソフィア(4)サマー・カントリー・ソング(Al Di Meola solo)(5)スクール・デイズ(Stanley Clarke solo)(6)オスカー・ロ